VOL.263昔と比べて難易度の変化はどうなってる?
人間には不思議な事が沢山あります。
その一つに能力の限界が挙げられます。
人間にとって「限界」と思われていたことが1人の人間によってクリアされると、次々と他の人もクリアしていく様子はスポーツの世界でよく目にします。
例えば、野球で150km/hを超える球を投げるピッチャーはプロでも殆どいなかったのが、今では高校生でも150km/h超えのピッチャーはゴロゴロいます。
さらに凄いのはその速球を打者の方もいとも簡単に打ち返します。
単純に少しずつレベルが上がったのか、意識改革のようなものがあったのかはわかりませんが、結果として150km/h超の速球はそれほど珍しいものではなくなりました。
私はこのような事象から「絡合」という言葉をイメージしてしまいます。
「絡合」とは「全てが関係している」といった意味だと思いますが、さらに突っ込んだ解釈をするならば「人と人とは繋がっている」といった考え方になります。
実はこのことは指導をしていると感じることでもあります。
この話はあまりにもわからないことばかりなのでこの辺にしておきますが、人間はほとんど何も解明していないということは肝に銘じておきたいと思います。
さて、今回は中学受験算数の難易度について考えてみます。
昔から考えれば、難易度のインフレのようなものは起きているはずです。
実際、昭和の時代は、難関校の問題でも今のレベルから考えれば基本問題がほとんどだと思います。
ですから、基本的には毎年少しずつ問題は難しくなっているのです。
ところが、昔の方が問題が難しかったという話は良く聞きます。
何故このようなことが起きるのでしょうか?
これは評価の基準が絶対的なのか相対的なのかの違いなんだと思います。
毎年絶対的な評価では同じ難易度ならば、受験生は解きやすく感じるはずですから、易しくなったとなるわけです。
少しずつとは言え、確実に難しくなっているのですが、対策のインフレも凄いですから、相対的な評価では「易化した」と言われることが多いように思います。
実は実際の試験の合否や模試の成績(偏差値)も相対的なものです。
では、今後全ての評価を相対的な基準を元に行えば良いかというとそんなことはありません。
何かができているか、できていないかは絶対的なものです。
ですから、普段の勉強の評価は絶対的である必要があると考えます。
我々は、皆さんの勉強がきちんとできているかを絶対的な基準を元に評価する番人のようなものなのです。
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