VOL.191私の思い出
私は子どもの頃から、ペットと接していた時期がそれなりにあったと思います。
最初のペットかどうかは定かではありませんが、カブトムシを大量に飼っていました。
当時は明け方に近所のクヌギ林に行けば、数匹のカブトムシをゲットすることができました。メスだと少しガッカリしたような記憶もあります。
次に、インコやブンチョウ・ジュウシマツ(どちらだったか記憶が曖昧です)を飼いました。インコ一匹から飼い始めたのですが、どんどん数が増え、最終的には鳥かごのレベルを超えるような巨大な小屋で飼っていました。
そして、中学生の頃初めて犬を飼いました(私ではなく親ですが)。
近所の野良犬を強引に捕まえて外に鎖でつないで餌を与えていただけなので、さほど愛着がわかなかったのかもしれません。結局首輪を抜けて逃げてしまったのですが、特に悲しいといった感情はわかなかったと記憶しています。
初めて家族のように思えたペットが次に飼った犬(ミニチュアダックス)でした。
生まれたての灰色をした赤ちゃん時代から飼い始め、とても人懐っこいイケメン犬に成長しました。
ブラックタンのロングコートで、グルメ犬でもありました。
お寿司が好物で、特に「エビ」が好きだったのですが、しっかり尻尾の固いところは残していました。
お肉も好物で、なんと「牛肉」しか食べませんでした。
私が「豚肉」を食べているのに彼は「牛肉」を食べている…
この時初めて犬に敗北するという屈辱を味わいました。
誰からも愛されていた彼とのお別れは意外と早くやってきました。母が旅行で家を数日空けたとき、寂しさのストレスで体調を崩し、そのまま帰らぬ犬となってしまいました。
この時は家族の皆が心のどこかにポッカリと穴が開いたような虚しさを感じました。
そして自然の成り行きとして、弟たちを迎え入れることになりました。
2匹の弟達は兄とは違い、2匹ともブラックタンのスムースコート(短毛)でした。
面白かったのは2匹の違いです。
基本的に動物の場合は一つの受精卵が分割した双子方式ではありません。それぞれ別々の羊膜に入っていて、出生の時刻にも若干のズレがあることがあるようです。
彼らは5つ子だったらしいのですが、産まれた日時がほぼ同じの5匹兄弟ということですね。
実際、赤ちゃんの時はほとんど見分けることができませんでしたが、成長するにつれて個性があらわれてきました。
一番簡単な見分け方は一方が「太い」ことでした。鼻のあたりの印象が「シュッ」と「ボヨン」という感じで顔の印象がかなり異なっていました。
私はなぜか「シュッ」からは嫌われ、「ボヨン」から好かれていたように思います。この頃はなかなか家に帰れないことが多かったので、犬と会うのは久しぶりということが多かったのですが、「ボヨン君」はいつも大歓迎してくれました。
性格もかなり違っていて「ヤンチャ」と「オットリ」でした。2匹の中に主従関係のようなものがあり、「シュっとしたヤンチャ君」が「ボヨンとしたオットリ君」を仕切っていました。
前回は1匹で寂しかっただろうから2匹飼ったのですが、手間は2倍以上だったと思います。家の損傷が激しかったような…
この2匹は長生きしてくれて、私たち家族に多くの喜びを与えてくれました。
その後、ペットとは縁がなかったのですが、数年前に猫を飼うことになりました。
元々野良猫だったものを捕まえて、避妊手術を施した後、引き取ることになってしまいました。当時は犬派だったので、別の引き取り手がいればそちらに譲るつもりだったのですが、成猫を引き取る人はほとんどいないらしく(そんな知識もありませんでした)、しょうがないので飼うことにしました。
今でも連れてきた初日のことを覚えているのですが、彼女はまさに「山猫」でした。
引っ掻き、威嚇は当たり前で、食事をとらないどころか、水さえも飲みませんでした。
何とか生活スタイルを定着させるのに数週間かかりました。
その後、ハンガーラックの下がお気に入りになったのですが、ある時異変が起こりました。
同じところにじっとしていたので、床ずれができてしまったのです。この時獣医さんに連れて行ったのですが、本当に大変な思いをしました。
このままではいけないと、コミュニケーションをはかる努力を開始しました。手を出すと引っ掻かれてしまうので、マジックハンドを使ったり、手袋をはめたりして少しずつ慣らしていきました。
特に初めてブラシで撫でてあげた時のことは忘れません。ものすごく面白い反応を見せてくれました。
転機が訪れたのは引っ越しをした後です。
この頃には寝る前のブラッシングが日課になっていました。が、何と「もっとやってくれ」と鳴くようになったのです。
この時期から現在まで、私は猫の下僕と化していると言えるかもしれません。
毎晩、色々なタイプのブラシを使って毛の手入れをしていたら、体毛が「フワフワモフモフ」になりました。
ただ、おもちゃで遊ぶといったことは全くしなかったのが不満といえば不満でした。
また、毛の掃除が面倒でした。毎回大量の毛が抜けます。
ある時、抜けた毛をまとめて丸めてみました。パチンコ玉位の大きさになったので、彼女の方に投げてみました。すると珍しく反応してくれました。いつもは完全無視だったので、もしかするとこの「自毛ボール」で遊んでくれるかもしれないという希望が生まれました。
最初のボールはすぐに捨ててしまったのですが、2個目は大きく育てることを目指しました。
1週間ほど育てた結果、ピンポン玉よりも一回り大きくなりました。その間、よく反応してくれて、それこそピンポンのようなラリーを楽しむことができました。
そろそろ大きさも限界と思い、2号玉を猫の前に放置したまま、3号玉の制作にとりかかりました。ひと段落したところで、2号玉を回収しようとしたところ見当たりません。
その後も3日ほど捜索したのですが、見つけることができませんでした。
そして、今朝、ふと枕元をみるとピンポン玉大の猫の毛のかたまりが置いてありました。猫はプレゼントをくれることがあるという話はよく聞きますが、すぐにこれはプレゼントだとわかりました。
その日は私の誕生日だったからです。
ペットについての思い出を書いていたら結構な量になってしまいました。たまにはこんな回があっても良いですよね!
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